「平治の乱」へのおさらい1

源義朝には男子がたくさんいるが母親はそれぞれ違う。

長男、悪源太義平の母は三浦大介義明の女(むすめ)、次男朝長の母は相模秦野の波多野義通の妹、次の頼朝の母は熱田の大宮司藤原季範の女、次の希義の母は駿河藤原の友忠の女(頼朝と同母の説もある)、次の範頼の母は遠江池田の遊女、そして今若、乙若、牛若の母が有名な京の常盤。

これで気づくことがありますか。

そう、義朝の本拠地鎌倉から京への街道筋の女たち。京への出仕の道すがら同衾した結果に間違いはない。常盤に三人の子どもがいるのを特別に寵愛したからと後年言われているが、単に京での滞在が長かったからかもしれないと思っている。