「平治の乱」へのおさらい4

先週見逃した「平清盛」を再放送で観たが、今日の回はもう「平治の乱」なのか。
少し進行が早いので驚いた。これで一年持つのか心配だ。

自分の知っている限りでは平治の乱以降、源氏勢力は完全に滅ばないまでも体を成さない状況。平氏は旭日昇天の勢いで、平治元年の翌年の永暦元年に清盛は、官位は太宰大弐のまま一階級飛び越して従三位となり、同年中に参議、右衛門督、翌年の応保元年に検非違使別当、権中納言、翌年は従二位、三年後の永万元年に権大納言兵部卿、翌年仁安元年に正二位内大臣、二年に左右大臣を経ずに太政大臣に昇った。

一門の栄達も長子重盛が内大臣となり、公卿十六人、殿上人三十人以上、国司六衛府の武官が八十余人と伝わっている。(源平盛衰記)

平治の乱を収めた平氏に朝廷も一目置かざるを得ない上、結婚政策で深く公家と結びつき、清盛の女徳子が高倉天皇中宮となり皇子を生みそれが安徳天皇となり、遂に天皇の外祖父となるのである。

しかしそれもライバルが居ないのだから当然で、その間は政治工作ばかりで大きな戦も無く、鹿ケ谷事件や福原遷都、鳥羽院上皇を幽閉するなど歴史上の大事件はあっても一般的にあまり知られていない上に陰謀が渦巻く陰湿出来事でテレビドラマで受けると思えない。

余程に良い脚本を作らないと、視聴率はさらにピンチになるかもしれないと予想している。



鎌倉悪源太義平