武士の忠義

今回は武士の忠義について研究したいと思います。まあ、研究というほど大袈裟なものでもないのですが、以前の私はどの時代の武士も、主従関係は「忠臣蔵」の浅野内匠頭と大石内蔵助の様なものだと思っていました。多分に、テレビの時代劇(特にNHK大河ドラマ…

山木判官兼隆

山木判官兼隆を祀る寺(法名は香山寺殿興峰兼隆大禅定門) 山木判官平兼隆は伊勢平氏の祖・平維衡の末裔で、父は従五位下和泉守信兼です。京にいる頃も判官(検非違使)だったのですが、罪を得て伊豆国山木に流されて来ました。流罪の原因はよく解っていない…

伊豆山神社

私の母は、生まれも育ちも東京だったのですが、齢六十を過ぎてから、都会の雑踏に嫌気がさしたのか、田舎暮らしがしたいと家を処分して、湯河原に転居しました。JR湯河原駅を降りて、熱海方向に五百メートル程歩いたところにある千歳川が、ほぼ神奈川県と…

坂崎出羽守

岡山城 坂崎出羽守成正は岡山備前の宇喜多家の一族で、姦雄といわれた宇喜多和泉守直家の弟安心入道忠家の子です。当時、宇喜多左京亮と名乗っていた成正は、太閤秀吉没後の慶長四年(1599年)、有名な「宇喜多騒動」で主筋で従兄弟の宇喜多中納言秀家と対立…

千姫

千姫の墓 千姫は慶長二年(1597年)に徳川家康の子秀忠と、織田信長の妹お市の方と浅井長政の三女お江(小督)の間に生まれた女で、慶長八年(1603年)に七歳で太閤秀吉の一子豊臣秀頼に輿入れしました。お江と秀頼の母茶々(淀殿)は姉妹ですから、二人は従…

傳通院

傳通院本堂 私の家の菩提寺は、文京区小石川の傳通院というお寺です。手前味噌となってしまいますが、なかなかの由緒ある寺です。 応永二十二年(1415年)浄土宗第七祖了誉が開山し、当初は無量山寿経寺という名で呼ばれていましたが、慶長七年(1602年)八…

司馬史観

十年程前から歴史書や歴史小説に傾倒し、約一年で司馬遼太郎の全作品を読破しました。その後は海音寺潮五郎や吉川英治、古いところでは幸田露伴などを読み漁り、「史記」「平治物語」「源平盛衰記」「吾妻鏡」「信長公記」などの史伝の現代語訳を読みました…