2008-09-01から1ヶ月間の記事一覧

伊達政宗

伊達政宗像「仙台市博物館所蔵品」 伊達政宗は仙台の人に大変人気があるので、申し訳ないと思うのですが、私はあまり好きになれません。 大雑把にいうと、なんとなく振る舞いに、インチキ臭い感じがするんです。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉が北条氏征伐の…

戦国武将株式会社

昨晩は床に入ってもなかなか寝付かれなかったので、妙なことを考えていました。 何を考えていたのかというと、私が仮に会社経営者だとして、部下にどんな戦国武将を使うかということです。当然ですが織田信長、徳川家康などは恐れ多くて、雇用は出来ないので…

蒲生飛騨守氏郷

蒲生氏郷像 (会津若松市立会津図書館所蔵品) 下世話な政治論議に二回分も使ってしまいましたので、また元に戻して歴史ロマンを書きたいと思います。「武士の忠義」というテーマを再三取り上げてまいりましたが、忠義心の源は「武士道」の観念を発露とする…

天下分け目の「衆院選」

本日、麻生太郎が第92代の内閣総理大臣に就任しましたが、遅かれ早かれ政権をかけた、自民・民主一騎打ち(まぁ、他にも党はありますが...)の衆院選となりそうな雰囲気です。前回予告した「歴史を遡って衆院選を占う」をしたいと思い、昨日より現状と類…

自民党総裁選

今回は少し趣向を変えて、昨日の自民党総裁選のことを書きます。 結果は大方の予想通り、麻生太郎の大勝となりましたが、無選挙だった民主党に比べれば多少の話題作りにはなったようです。選挙戦前から麻生大優勢とマスコミで伝えられておりましたが、他の候…

大石内蔵助と堀部安兵衛

「大石内蔵助良雄像」 赤穂大石神社所蔵品 「武士の忠義」で何と言っても一番有名なのは「忠臣蔵」の大石内蔵助良雄ですが、討入り前にこんなエピソードありました。 大石内蔵助は仇討ちの前に、まず主君・浅野内匠頭長矩の弟・浅野大学長広を立てて浅野家再…

武士の起源 その五

「武士職能論」「国衙軍制論」はもう何度も取り上げましたが、ここで詳細を説明するのはもうやめます。だんだん辣韮の皮を剥くような記述になってくるので、以下はWikipediaに両説の記述が簡潔に書かれているので、「武士団」で検索して参考にしてください。…

武士の起源 その四

平将門像 前回「平将門は武士ではない」で腰を抜かしたと書いたのはちょっと大袈裟でしたが、少なくとも椅子からは落ちました。刀を差し、鎧を着て、馬に乗っているからといったビジュアルで、武士だと思った訳ではなく、将門の生態が間違いなく武士だったか…

武士の起源 その参

武士の忠義の研究をしていたのに、すっかり脇に逸れたままになってしまいました。主題が消えて枝葉が広がる、下手なプレゼンの代名詞のようですが大丈夫です。武士の忠義は、自分自身の最も重要な研究課題なので必ずやりますので、もう少々お待ち下さい。 何…

武士の起源 その弐 

『後三年合戦絵詞』の八幡太郎義家 前回書いた「職能」武士起源論の異論を書こうと思っていたら、同じくWikipediaにこの説の異論があったのを見落としていました。 「職能」起源論の限界 「職能」起源論では地方の武士を十分説明できるわけではない。確かに…

武士の起源

いきなり余談ですが、私は家にパソコンを置いていないので、夜自宅でコピー用紙の裏紙にこのブログの原稿を書いて、翌日職場で仕事が終わった後アップしています。年号はうる憶えなので「○○年」などと書いておき、姓名の漢字や官位なども資料が無いものは翌…

武士の忠義

今回は武士の忠義について研究したいと思います。まあ、研究というほど大袈裟なものでもないのですが、以前の私はどの時代の武士も、主従関係は「忠臣蔵」の浅野内匠頭と大石内蔵助の様なものだと思っていました。多分に、テレビの時代劇(特にNHK大河ドラマ…

山木判官兼隆

山木判官兼隆を祀る寺(法名は香山寺殿興峰兼隆大禅定門) 山木判官平兼隆は伊勢平氏の祖・平維衡の末裔で、父は従五位下和泉守信兼です。京にいる頃も判官(検非違使)だったのですが、罪を得て伊豆国山木に流されて来ました。流罪の原因はよく解っていない…

伊豆山神社

私の母は、生まれも育ちも東京だったのですが、齢六十を過ぎてから、都会の雑踏に嫌気がさしたのか、田舎暮らしがしたいと家を処分して、湯河原に転居しました。JR湯河原駅を降りて、熱海方向に五百メートル程歩いたところにある千歳川が、ほぼ神奈川県と…

坂崎出羽守

岡山城 坂崎出羽守成正は岡山備前の宇喜多家の一族で、姦雄といわれた宇喜多和泉守直家の弟安心入道忠家の子です。当時、宇喜多左京亮と名乗っていた成正は、太閤秀吉没後の慶長四年(1599年)、有名な「宇喜多騒動」で主筋で従兄弟の宇喜多中納言秀家と対立…

千姫

千姫の墓 千姫は慶長二年(1597年)に徳川家康の子秀忠と、織田信長の妹お市の方と浅井長政の三女お江(小督)の間に生まれた女で、慶長八年(1603年)に七歳で太閤秀吉の一子豊臣秀頼に輿入れしました。お江と秀頼の母茶々(淀殿)は姉妹ですから、二人は従…

傳通院

傳通院本堂 私の家の菩提寺は、文京区小石川の傳通院というお寺です。手前味噌となってしまいますが、なかなかの由緒ある寺です。 応永二十二年(1415年)浄土宗第七祖了誉が開山し、当初は無量山寿経寺という名で呼ばれていましたが、慶長七年(1602年)八…

司馬史観

十年程前から歴史書や歴史小説に傾倒し、約一年で司馬遼太郎の全作品を読破しました。その後は海音寺潮五郎や吉川英治、古いところでは幸田露伴などを読み漁り、「史記」「平治物語」「源平盛衰記」「吾妻鏡」「信長公記」などの史伝の現代語訳を読みました…