2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧

拝啓 近藤勇殿

拝啓 近藤勇殿。否、流山で改名なさったので、大久保大和殿でしたか。それとも鬼籍に入られているので、戒名「貫天院殿純義誠忠大居士」でお呼びするのでしょうか。 ともあれ、貴殿に於かれましては、幕末期に新選組局長としてご活躍なさったことが、私共の…

示現流

前回まで続けて書いてきた「寺田屋騒動」が、自分としては大作だったので、今回は「小ネタ」にさせて頂きます。「寺田屋騒動」にも何度か出てきた、剣術の流派「示現流」ですが、元々はもっと古くからある「タイ捨流」が原点です。このタイ捨流ですが、肥後…

寺田屋騒動  「結」

大久保一蔵(利通) 寺田屋の同志達は、京都錦にある薩摩の藩邸に送られました。名前を上げていませんでしたが、この同志の中には、大山岩次郎(巌)、西郷慎吾(従道)、篠原冬一郎(国幹)、永山弥一郎など、戊申戦争に参戦し維新後も明治新政府の要職につ…

寺田屋騒動  「転」

「大山巌元帥陸軍大将」 ※当時は寺田屋の同志でした。格之助とは別人。 田中謙助が道島五郎兵衛に斬り倒されると、その頃には使者の残り五人も寺田屋に到着していました。 山口金之進は薬丸自顕流(薩摩示現流の流れ)の達人です。山口は抜刀するやいなや、…

寺田屋騒動  「承」

「寺田屋」 現在 文久二年(1862年)四月二十三日午後十時頃、島津久光の使者九名は二組に分かれ、奈良原幸五郎、道島五郎兵衛、江夏仲左衛門、森岡善助の四名が先着し、寺田屋に入って来ました。奈良原は寺田屋の主人伊助に、有馬新七との面会を求めると、…

寺田屋騒動  「起」

「島津久光肖像画」 尚古集成館所蔵品 薩摩(鹿児島)は、幕末の維新革命時に偉人達を綺羅、星の如く輩出しました。 西郷隆盛、大久保利通を筆頭に、上げればきりがありませんが、この日本最南の地(当時沖縄は、はっきりとした日本領土ではないので)から、…

井上馨

井上馨 「井上馨」、幼名勇吉、後に文之輔、聞多(もんた)、一時養子となって姓が志道(しじ)、複雑なので井上馨で通し話を進めます。 井上家はなかなかの名家で、先祖の五郎三郎就在は清和源氏の流れ、毛利家藩祖元成の重臣です。馨の父五郎三郎光享の頃…

岡田以蔵宜振

「撃刺矯捷なること隼の如し」天稟の剣才があり、大男だったのですが動きが俊敏だったので、岡田以蔵の剣捌きはこのように例えられました。 以蔵(諱は宜振)は、土佐香美郡岩村の郷士岡田義平の長男として生まれました。義平が足軽として徴兵されてから、城…

人斬り

桐野利秋 (中村半次郎) 万延元年(1860年)三月三日、大老井伊直弼が桜田門外で暗殺されると、幕府の権威は急落しました。一方、京では尊王攘夷派が台頭し、「天誅」と称する暗殺が続出するようになり治安が悪化します。多くは井伊が行った政治的弾圧「安…

立花宗茂 後記

「立花宗茂」に関連することを、何回か書いてきましたが、途中で子供の運動会などもあり(ブログとはまったく関係ないですが)、すっかり虚脱してしまいました。 疲れの原因は、書くことを考えていたからでありません。宗茂の事は、これでもまだ書き切れてい…

立花宗茂 その参

「立花ぎん千代」 ゲームソフト「戦国無双2」より (何故か最近こればかりですが、ゲームおたくではありません、画像がないので・・・) 慶長五年(1600年)、「関ヶ原の戦い」の結果は、皆さんご存知の通り東軍の勝利となりましたが、西軍に属していた立花宗茂は決…

立花宗茂 その弐

「立花宗茂」 ゲームソフト「信長の野望」より 「立花宗茂」のことを書こうと始めたのですが、道雪と紹運の事に時間が掛かりすぎて、まるで「パパ」に主役を取られた、「バカボン」のようになってしまいました。まあ、くだらない冗談はさておき、本日から主役「立…

立花宗茂異聞 「高橋紹運」その弐

岩屋城跡石碑 「筑前国続風土記」は筑前国福岡藩士で、儒学者貝原益軒が元禄元年(1688年)に編纂した記録です。三十巻を越える大著の中の「御笠郡岩屋古城」編に、高橋紹運が籠城戦をした「岩屋城の戦い」が、詳しく書かれています。文語体ですが、比較的読…

立花宗茂異聞 「高橋紹運」

「高橋鎮種入道紹運」 ゲームソフト「信長の野望」より 大友宗麟の家臣、高橋氏は二家あります。 元々は宗麟の家臣・高橋鑑種(後の入道宗仙)が当主の家でしたが、永禄十年(1567年)に宗麟との諍いで謀反を起こします。その原因というのが呆れることに、宗麟が…

立花宗茂異聞 「立花道雪」

立花鑑連入道道雪像 立花宗茂の義父「立花鑑連入道道雪」は、もともと大友家の一族で、戸次(べっき)氏と称していましたが、鑑連の代に筑前糟屋郡立花城の城主となり、立花の姓を名乗るようになりました。 鑑連は晩年、入道になり道雪と名乗りますが六三の…

立花宗茂

立花宗茂像(福厳寺蔵) 更新を一日休んでおりましたが、力を蓄え、満を持して、私の大好きな武将「立花左近将監宗茂」の事を書きます。 「人となり温純寛厚。徳ありて驕らず。功ありて誇らず。人を用ふる、己に由る。善に従ふ。流るるが如し。奸臣を遠ざけ…

直江山城守兼続

直江兼続所用「金小札浅葱糸威二枚胴具足」 「陪臣にして、直江山城、小早川左衛門、堀監物杯は天下の仕置をするとも、仕兼間敷(しかねまじき)ものなりと、称誉せられけり」(名将言行録) 直江山城守兼続を称して、豊臣秀吉が語った言葉で、天下の政治を…