武士の起源

 いきなり余談ですが、私は家にパソコンを置いていないので、夜自宅でコピー用紙の裏紙にこのブログの原稿を書いて、翌日職場で仕事が終わった後アップしています。年号はうる憶えなので「○○年」などと書いておき、姓名の漢字や官位なども資料が無いものは翌日のアップの時に調べます。その原稿を見て愕然とするのは、姓名以外にもあまりに漢字を知らないことです。活字は読むだけで、ペンを持って書くことが少なくなってくると簡単な漢字まで全然記憶の中から出てきません。パソコンでも間違って変換していることがあり、アップしてから気が付くと、冷汗三斗の心境で書き直ししています。一体、今から勉強しても間に合うのでしょうか...。

 武士の起源についてですが、私の知っている限り(中学生の教科書レベルですが)でおさらいをしてみます。多分に経済的な理由だと思いますが、桓武天皇延暦年間に、朝廷は常備軍を持つことをやめます。軍隊は戦争だけでなく治安維持の働きもあったので無くなることで、その後大規模な強盗集団などが発生し、特に地方は恐ろしく治安が悪化しました。こそ泥程度であれば検非違使で間に合うのですが、集団となると手に負えません。
地方守護・地頭などの荘園主は自衛の為の武力を持つことが必要になり、自分の領地の屈強な者を家の子・郎党として組織していきました※。荘園は本来、大化改新以降は公地でしたが、奈良時代律令制の崩壊で私領地が増えてしまいました。しかしこの経緯は本題から少々外れるので省略します。この荘園主が武士で家の子・郎党が家来という構図が出来上がり、それが武士の起源だと思っています。

ところが、Wikipediaを見ていたら異説があったので、その記事を引用しておきます。

「しかし、「開発領主」論では全ての武士の発生を説明できたわけではなかった。特に、武士団の主要メンバーである源氏、平氏藤原氏などを起源とする上級武士や朝廷、院など権門と密接に結びついた武士の起源を説明できない。そこで佐藤進一、上横手雅敬、戸田芳実、高橋昌明らによってこれら在京の武士を武士の起源とする「職能」武士起源論が提唱された。」

私は4人の先生がたの著書を全て見たわけではないので、この「職能」武士起源論を正確に理解しておりませんが、この記述を読む限りでは異論があります。
 次回はこの異論の理由と武士はその後どうなっていたのかを書きたいと思います。また当初の主題である武士の忠義についても研究も進めます。


※ 自衛組織は荘園だけではなく、寺は僧兵、神社は神人などがいます。



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